って、私出来ているようで出来ていないと自覚しています。
上っ面で褒めることは出来ても、本心で褒めることは特に身内ではあまりしません。
と言うのもこれまでの人生経験で、幼少期からあまり褒められるという記憶がなく、どちらかと言うと怒られるようなことばかりしていた記憶が多いです。
そりゃぁ、やったらアカン事をやったりもしたのですが、例えばクラブ活動で優勝しても褒められた。と言う事が記憶に残っていません。
それは、単なる通過点であって、『勝って兜の緒を締めよ』みたいな教育です。
私のいないところで、褒めていたのかも知れませんが、直接褒められると言う事を殆ど覚えていません。
なので、人から褒められると逆に「なんか裏あるんとちゃうか?」と勘ぐってしまったりします。
仕事でもそうです。
どんなに現場改善したり、嫌な役を引き受けてもアピールが下手くそだからか、フィードバックはいつもKARAKUCHIです。
特に自分でも良くやったな。と思っても、その時こそ鼻高をボキッと折るくらいKARAKUCHIです。
逆に何もしていない時に表彰を受けたりすることもあるので、滅茶苦茶怖くて報奨金を全部職場の社員にランチやディナーで使い果たしました。
なので、私の人格形成として『本心から人を褒める』と言うのは、
・見違えるように素晴らしく感銘したとき
・自分では思いつかずフォローに入ってくれたとき
・取り返しも付かないことで助けてもらったとき
位でしょうか。
そして、すぐに忘れてしまいます。
後から、「あの時の言葉は忘れず感謝している。」と言われると、『どのときだっけ?』と無責任にも程があるくらい忘れています。
忘れないこともありますが、8割くらいは忘れています。申し訳ございません。
人を褒めるのが苦手なんですよ。
ただし褒めるときは、回りくどいことを言わず『ストレート直球』です。
恋愛ドラマ(私の中では1990年代で止まっています)みたいな、回りくどいようなことは一切言わないですね。
あ、何かしてもらったときに「ありがとう」とは言いますが、後で「ちゃんと礼を言えたかな?」「言い忘れたかな?」と不安(=自己嫌悪)になる事もあります。
それ位人間できていません。
申し訳ございません。
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上っ面で褒めることは出来ても、本心で褒めることは特に身内ではあまりしません。
と言うのもこれまでの人生経験で、幼少期からあまり褒められるという記憶がなく、どちらかと言うと怒られるようなことばかりしていた記憶が多いです。
そりゃぁ、やったらアカン事をやったりもしたのですが、例えばクラブ活動で優勝しても褒められた。と言う事が記憶に残っていません。
それは、単なる通過点であって、『勝って兜の緒を締めよ』みたいな教育です。
私のいないところで、褒めていたのかも知れませんが、直接褒められると言う事を殆ど覚えていません。
なので、人から褒められると逆に「なんか裏あるんとちゃうか?」と勘ぐってしまったりします。
仕事でもそうです。
どんなに現場改善したり、嫌な役を引き受けてもアピールが下手くそだからか、フィードバックはいつもKARAKUCHIです。
特に自分でも良くやったな。と思っても、その時こそ鼻高をボキッと折るくらいKARAKUCHIです。
逆に何もしていない時に表彰を受けたりすることもあるので、滅茶苦茶怖くて報奨金を全部職場の社員にランチやディナーで使い果たしました。
なので、私の人格形成として『本心から人を褒める』と言うのは、
・見違えるように素晴らしく感銘したとき
・自分では思いつかずフォローに入ってくれたとき
・取り返しも付かないことで助けてもらったとき
位でしょうか。
そして、すぐに忘れてしまいます。
後から、「あの時の言葉は忘れず感謝している。」と言われると、『どのときだっけ?』と無責任にも程があるくらい忘れています。
忘れないこともありますが、8割くらいは忘れています。申し訳ございません。
人を褒めるのが苦手なんですよ。
ただし褒めるときは、回りくどいことを言わず『ストレート直球』です。
恋愛ドラマ(私の中では1990年代で止まっています)みたいな、回りくどいようなことは一切言わないですね。
あ、何かしてもらったときに「ありがとう」とは言いますが、後で「ちゃんと礼を言えたかな?」「言い忘れたかな?」と不安(=自己嫌悪)になる事もあります。
それ位人間できていません。
申し訳ございません。
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